東日本大震災から6年経った福島を訪ねる コラム

2017年5月11日

5月11日

”鬼”ショック、福島・期間困難区域のリアル

数週間前、東日本大震災から6年が経った福島を訪れたチーム“ぶら防”。廃炉に向けた様々な実験を行う「楢葉遠隔技術開発センター」に潜入、その後、避難指示が一部を除いて解除された富岡町を訪れた。福島の現状を垣間見て東京に戻った“防災の鬼”渡辺実氏に1本の電話が。申請が必要となる帰還困難区域内に立ち入りの許可が降りたとのこと。今回は、さらに奥深く潜入した様子をレポートする。


前回に続き、案内をしてくれるのは、福島県のいわき市で宅配弁当の会社である観陽亭を経営する遠藤義之氏。富岡町・帰還困難区域内に自宅を持つ。422日土曜日、遠藤さんの案内で、遠藤宅へ向かう。

 帰還困難区域は、居住者が一時立入申請をしないと入ることができない。富岡町は41日に居住制限区域と避難指示区域が避難解除されたものの、帰還困難区域に関しては原発事故が起きて6年経過しても、いまだ避難指示が出されたままである。

 いわき市の観陽亭から車で富岡市へ向かい、スクリーニング場で事前申請した「立入者名簿」を提出。係員から以下のものが渡される。

  • 1. 住民一時立入車両通行書
  • 2. 一時立入注意事項(A418枚)
  • 3. トランシーバー(緊急連絡用)
  • 4. 線量計
  • 5. 防護服

 帰還困難区域への一時立入時間は5時間以内。午後4時までにはスクリーニング場へ戻り、車両と立入者のスクリーニング結果に汚染問題がなければ、区域からの退出が認められる。通行証の発行権者は富岡町長、注意事項は原子力災害対策本部・富岡町・双葉警察署の連名、トランシーバーには内閣府のラベルが貼られていた。

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夜の森地区ゲートが開いて、初めて帰還困難区域へ入る

スクリーニング場から遠藤宅へ向かうため、夜の森地区ゲートから帰還困難区域へ入る。パトカーや作業車両には何回か遭遇したが、出会った居住者は2人だけで人気は全くなく、音がない異様な空間である。

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JR常磐線再開へ向けて除染作業が進む夜の森駅

 一部を除き6年間除染もされず、地震発生直後から住民は強制避難をした建物周囲は草木が生い茂っている。外観から見える建物の被害は想像していたより少ない。新しい家屋も多く、新築して間もなく強制避難したことが伺われる。店舗のなかにはドアや窓が開いている店があり、中は散乱し放置されたままで、泥棒が侵入した痕跡も。地区内にあるJR常磐線夜の森駅は、再開へ向けて除染整備が行われている。

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防護服を身にまとった“防災の鬼”(左)、地表空間線量は4.85μSv/h(夜も森駅前商店街)

 

家屋には被害がないのだが…

夜ノ森駅から徒歩で遠藤宅へ向かった。地区内の送電は止められており、1カ所だけ信号が黄色点灯していた。夜になると真っ暗な“闇の街”になる。

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6年間放置された帰還困難区域内の家屋

 

「この家は2007年5月に新築しました。原発事故が起きてしまったので4年間しか住んでいないんです。1年後くらいに初めて地震後の自宅へ一時立入しましたが、家の中は地震の揺れでさんさんたる状況で唖然としました。でも家屋としては壁紙にヒビがあるだけで全く無被害。なぜ家族と一緒にこの家に戻れないのか、放射線に汚染されていることは理解していますが、納得はできていません。現実として受け止めているだけです。子供達は一度もこの家には戻ってきていません」(遠藤氏)
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遠藤宅の外観

 

渡辺氏が見ても、新耐震基準で建設された家屋自体には全く被害はない。

 

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防災・危機管理ジャーナリスト/株式会社まちづくり計画研究所 代表取締役所長/技術士/防災士
渡辺 実

1974年工学院大学工学部建築学科卒業。公益社団法人日本都市計画学会、一般財団法人都市防災研究所等を経て、1989年に株式会社まちづくり計画研究所設立、代表取締役就任。
国内外の自然災害被災地、大規模事故現場へ足を運び、被災者、被害者の立場にたって問題や課題をジャーナリスティックに指摘。現場体験をベースに、災害報道の検証や防災対策についても国民サイドにたった辛口の提言を続けている。
2007年より、NPO法人日本災害情報サポートネットワーク理事長としても活動。

◇主な著書
『巨大震災その時どうする?生き残りマニュアル』(日本経済新聞出版社) 2013
『都市住民のための防災読本』(新潮社) 2011
『大地震に備える 自分と大切な人を守る方法』(中経出版) 2011


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