おかしいぞ!防災の常識 (Vol.4) コラム

3 被害記録から

災害対策研究会 宮本 英治 / 釜石 徹

【海溝型地震】
3-10. 東日本大震災の浸水範囲と死者率
東日本大震災では建物被害が少なく、ほとんどが津波被害である。津波の浸水範囲にお住まいの方は約50万人、死者・行方不明者はその4%の約2万人である。自分の知人(家族・親族、ご近所の方、職場の同僚とその家族、子供たちの父兄など)の4%、25人に1人が亡くなるとは?家族・親族・知人が何人も亡くなっている。

 

3-11. 海溝型地震では建物は倒壊しない?
一般に海溝型地震は直下地震に比べて長周期の地震波が大きいと習う。ところが東日本大震災の地震波を阪神淡路大震災と比べると、ガッガッガッとくる短周期の地震波は3倍だが、ユッサユッサとした1~2秒から先の長周期の地震波は1/3しかなく建物倒壊が少ない。南海トラフ地震では周期1~2秒の地震動も大きく建物被害がでる。

 

3-12. 揺れによる原子力発電所の被害は?
東日本大震災のときの福島原発では、原発建物や炉心が被害を受けやすいユッサユッサとした1~2秒
の周期の地震波は小さかったので高精度の機器に壊滅的な被害がでる。それでも原子炉はなんとか無事に
停止できた。しかしその後に津波で非常用電源を失い大事故に至った。

 

3-13. 東日本大震災で東京の被害は大きかった?
東京では長周期地震動により高層ビルが大きく揺れ、湾岸で液状化が発生した。しかし東日本大震災の長周期の地震波は小さかったのである。南海トラフ地震では東日本大震災の5倍近い揺れとなり、広範囲に大規模な液状化が発生する。東日本大震災で自分のところは大丈夫だったから・・とはいかない。
※要補足
・原発で作業していた技術者は、津波が来る前に原発から避難を開始していた。
配管被害など原発内部の被害が壊滅的であったためである。

 

3-14. 地盤が沈むところはどこ?
東日本大震災では太平洋岸で地盤が1m程度沈降した。昭和21年の南海地震でも高知市街が1m強の地盤沈降で水没しており、次の南海トラフ地震でも堤防が決壊したら高知市が水没することは高知市民にとっては常識である。同様に紀伊半島南部や遠州灘沿岸部(豊橋や浜松など)も同様の危険性がある。

 

3-15. 巨大津波の原因は「巨大な跳ね返り」。
津波はプレートの跳ね返りに伴う海面上昇で発生する。東日本大震災では牡鹿半島の東側の海溝付近で50mの「巨大な跳ね返り」が生じた。プレート境界の傾きは1:6程度であり7~8m程度海面が上昇、巨大津波の原因となった。地震の規模が大きいほどプレートの跳ね返りは大きいが、このような「巨大な跳ね返り」が常に発生するとは限らない。

 

3-16. 津波は龍の様に駆け上がる
沖合で8mの津波が湾口ではスピードが落ちて16m、さらに津波は勢いがあって防潮堤を超え斜面を駆け上がる(最高は40m)。南三陸町では沿岸の志津川病院や防災庁舎の3階を超えた津波が2km内陸の海抜6mにある合同庁舎でも3階を超えた。地形が狭まり津波高が上昇している。川に沿って海が見えない地域まで遡上している。

 

3-17. 津波で溺死?救命胴衣?津波シェルター?
陸に上がった津波は1~2mの高さでも車や家屋を巻き込みながら襲ってくる。この津波に巻き込まれたら溺死ではなく破壊死であり、五体が切断された遺体が多い。救命胴衣が役立つこともあるが破壊死では役立たない。津波シェルターはがれきに巻き込まれ、引き波で岸壁から10m落下し、太平洋に流される・・ご無事で!

 

3-18. 国難か?どう立ち向かったか?
地震発生直後から建設関係者が道路確保に努め、全国から緊急消防援助隊、広域緊急援助隊(警察)、自衛隊、DMAT、日赤医療救護班などの支援が始まった。一方、燃料不足や原発事故などで都道府県、市町村、ボランティアなどの支援は遅れた。浸水範囲居住者は50万人(日本のわずか0.4%)、国はその支援~復興に何年かけるつもり?

 

3-19. 万里の長城(田老町)は敗北したか?
明治の三陸で15m、昭和の三陸で10mの津波に襲われた田老町が建設した防浪堤(万里の長城)は高さ10m。今回襲ってきた津波はおおよそ15m、田老は敗北したのか?実は明治で死者約1900名、昭和で約900名、今回は185名である。住宅地の街角は全て隅切りを行い、避難路を整備して町挙げての避難訓練も行っていた。

 

3-20. 普代村の勝利は続くか?
普代村の本村を守る大水門は海抜15.5m、同じく太田名部漁港地区の防潮堤も海抜15.5mで普代村は死者1名に抑えて勝利した。しかし大水門を襲った津波高は海抜20mで大水門を超え、普代川に沿って小中学校に迫った。また、太田名部漁港地区を海抜20mの津波が襲ったら住宅地は壊滅していた。幸運だった。

 

3-21. 石巻市相川の高台移転と悲劇
北上川河口(4km上流には大川小学校がある)から東に5kmいったところが十三浜相川である。漁港近くに相川小学校がある(現在は廃校)。この裏山を越えたところに集団地と呼ばれる高台移転地域(浜崎地区)があるがもちろん無被害である。一方、小学校付近は集団移転跡地に多くの住宅ができたが壊滅的被害を受けた。

 

3-22. 石巻市立大川小学校の真実とは?
近隣の相川小や雄勝小では在校生の津波避難が成功しているのになぜ大川小学校だけが?小学校がある釜谷地区の死者は全住民約400名の半数の約200名で在宅中のほぼ全員(ほとんどが高齢者)である。河口から4km、昭和の三陸でもチリ津波でも被災せず、ハザードマップでも津波浸水域ではない。逃げなったのである。
※要補足
・東日本大震災では約600名の小中高校生が亡くなったが学校管理下での犠牲は大川小学校だけである
・裏山にはお稲荷さんへの参道があり、学校裏の斜面を登れば数百人が避難できるコンクリートの平場もあったし、通学バスでの避難も可能であった。
・大川小学校は災害時の避難場所として指定されており、校庭には近隣の住民も集まっていた。

 

3-23. 海辺の病院の悲劇
海辺の3病院(岩手県立高田病院、南三陸町公立志津川病院、石巻市立雄勝病院では医療スタッフ35名、入院患者124名が津波の犠牲になった。特に海岸に立地する雄勝病院では裏山への避難が可能であったにもかかわらず、入院患者に付き添った医療スタッフが全員犠牲となった。入院病床を保有する病院は高台に設けるべきである。

 

3-24. 海辺の高齢者施設で入居者485名、職員173名が津波の犠牲となった
海岸に近い低地の施設において多くの犠牲者が出ている(ハザードマップでは津波浸水危険区域外の施
設もあった)。犠牲者のほとんどが施設内部または避難途中で被災し、付き添った多くの職員が犠牲にな
った。施設管理者の多くが、介護を必要とする高齢者を津波から守るには、施設を安全な場所に設置する
しか方法がないと語っている。

 

3-25. 指定避難場所での悲劇、避難所は自ら判断せよ!
陸前高田市民体育館や石巻市北上総合支所など、安全でなければならない指定避難所や、訓練で津波避難場所となっていた釜石市鵜住居防災センターなどで400名以上の方が津波の犠牲となった。「避難所」への過信が生んだ悲劇である。避難する必要がない生活環境を築くこと、次に自分自身で避難先を判断する能力を養うことである。

 

3-26. 市役所・町役場での悲劇
海抜1~2mにあった岩手県大槌町役場、陸前高田市役所、宮城県南三陸町役場、石巻市北上支所の4か所で200名を超える職員が犠牲となった。職員の悲劇と防災拠点の被害はその後の災害対応~復旧対応に大きな支障ともなった。多くの職員の命を守るためにも行政機能を守るためにも安全な場所に耐震性のある庁舎を設けるべきである。

 

3-27. 多くの小中学校が統廃合へ
津波の被害を受けながら再建される学校もあるが、岩手・宮城の2県では統廃合により小学校22校と中学校9校が廃校となった。地域の象徴的存在である学校が消える。学校が被害を受けたこともあるが、地域が壊滅的被害を受けたことも大きい。地域の存続・発展のためには学校だけでなく、地域が被災しないことが重要である。

 


災害対策研究会
http://www.saitaiken.com

『おかしいぞ!防災の常識 Ver.1.0』PDFファイル(1.37MB)


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