火災旋風から逃れる方法は|関東大震災からの教訓 防災ニュース

2022年6月1日

6月1日 人口が密集した都市部で地震が発生した際、最も警戒しなければならないものに、大規模火災があります。大正時代の首都圏を襲った関東大震災の教訓からみていきましょう。

関東大震災は、1923(大正12)年9月1日11時58分に発生しました。地震の規模を示すマグニチュード(M)は7.9、震源地は相模湾北部。相模プレートが動くことにより生じた地震と推定されています。プレート地震であったことから津波も襲来し、神奈川県をはじめ主要都市に甚大な被害が生じました。余震も多く、3日余りで900回を超えたとされています。

特に東京都内では、火災による被害が顕著でした。ちょうど正午直前という昼時だったこともあって、130箇所以上の出火を引き起こしたといわれています。地震発生直後から発生した火災は、一部が大規模な延焼火災となり、まる2日以上も燃え続けました。ようやく鎮火したのは9月3日の午後2時ごろだったといわれています。

実は、関東大震災の起きた9日1日ごろ、日本海沖を台風が通過していました。日本に上陸していたわけではないのですが、台風が日本海沖を通るときは関東平野に暴風が吹き下ろされます。このこともあり、9月1日から2日にかけては気象の変化が激しく、南風、西風、北風、南風と風向がくるくる変わりました。とくに9月1日は、10~15m/sと強い風が吹いており、台風の進路にしたがって最大で風速22m/sにもなったといわれます。こうした条件も重なり、大規模な火災が発生したのです。

火災による被害が最も甚大だったのが、旧陸軍被服廠(ひふくしょう)跡地でした。東京ドーム2個分の広さの空き地で、大勢の人たちが避難していました。そこへ炎が竜巻のようになった「火災旋風」が吹き付けたのです。炎の風は80m/sにも及んだとされます。

火災旋風の発生のメカニズムはまだ分かっていないのですが、なぜ被服廠跡地のように広大な空き地が襲われたのかについては、跡地を取り囲むように大きく広がっていた大火災が原因ではないかといわれます。つまり、広い空き地だと考えていたけれど、もっと広域で俯瞰すると、周辺を数倍もの面積で大規模火災が取り囲んでおり、リスクの高い場所だったというわけです。

関東大震災の火災からみえてくる教訓は、昔の話ではありません。今でも東京都をはじめとする大都市の中には木密地域(密集した木造住宅が立ち並ぶ地域)があり、建物倒壊の危険度が高いエリアがあります。一度火災が発生すれば、関東大震災のときのような火災旋風になる可能性は、十分に考えられるのです。

火災旋風が近くで起きてしまったら、身を守るすべはありません。まずは建物が倒壊しない、火災を起こさない対策をとるのが先決です。耐火耐震の鉄筋マンションだと大丈夫なのではと考えがちですが、火災旋風にまきこまれた場合、中にいると危険です。広域での火災の発生状況や風向きをみながら、「煙がみえたら即避難」のつもりですばやい状況把握の方策と複数の避難ルートの検討が重要です。ハザードマップを確認して建物倒壊や火災発生の危険度が高い場所にいる場合は、地震が発生したらできるだけ早くその範囲から脱出する方策をたてておきましょう。

防災ログ事務局:南部優子


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