【7月の水害】記録的短時間大雨情報のきっかけとなった長崎豪雨から40年 防災ニュース
2022年7月28日
7月28日 今から40年前の1982(昭和57)年、死者・行方不明者が299人と甚大な被害を起こした豪雨災害がありました。長崎豪雨災害*です。被害者の88%は土砂災害によるもので、被害は長崎市付近に集中しました。この災害を教訓として、住民の避難誘導に関する防災システムや予報・警報などの気象情報の伝達についての検討が進み、土砂災害に関する警戒の情報の整備や、記録的短時間大雨情報の発表などのしくみが生まれました。
長崎豪雨災害は、7月23日の午後から夜にかけて長崎県南部を中心に降った大雨で、降雨量は、19時からの1時間で187mm(長与町役場)、19時からの3時間で366mm(長崎土建)と、記録的な集中豪雨となりました。この大雨により、主に郊外部で土砂災害が、都市部で河川氾濫による洪水・浸水被害が発生し、死者・行方不明者299人、全半壊1,538棟、床上浸水17,909棟(内閣府報告書)と、甚大な被害となりました。
長崎豪雨は、いわゆる梅雨末期の大雨でした。6月は記録的に雨の少ない状態が続いていたのですが、7月10日に梅雨前線が北上し、11日から一転して大雨となり、25日まで曇りや雨の日が続いたのです。長く降り続いた雨で飽和状態だったところへ、23日夕方に記録的な豪雨が集中し、下線の氾濫や土砂災害が発生しました。集中豪雨が夕方から夜半にかけて急激に起きたため、避難が間に合わず被害を大きくしたのです。
当時の気象情報は、注意報・警報程度のシンプルなものでした。現在のようにインターネットによる情報共有もできず、テレビ・ラジオでの気象状況の解説が精一杯の状況で、県警の避難勧告を法曹できたのは21時過ぎと遅れをとりました。電話回線が輻輳状態で通じなくなるなど、情報発信に関する問題が浮き彫りになりました。また、避難のよびかけを受けた人の避難率が27.3%にとどまるなど、避難のあり方や危機意識にも課題を残しました。
長崎豪雨を教訓として、土砂災害への警戒の呼びかけに関する取組が進められ、現在の土砂災害警戒情報の運用につながっています。もうひとつ、長崎豪雨をきっかけにして発表されるようになったのが記録的短時間大雨情報です。数年に一度程度しか発生しないような短時間の大雨が観測されたり、解析されたりしたときに発表されるもので、現在の降雨がその地域にとって土砂災害・浸水害・洪水災害の発生につながるような雨量であることを知らせています。
記録的短時間情報や土砂災害警戒情報が発表された場合、実際にどこで災害発生の危険度が高まっているかを「キキクル(危険度分布)」で確かめましょう。特に、あらかじめハザードマップ上で危険度が高いとされている地域にいる人は、自治体から発表される避難情報を確認し、できるだけ早く避難行動をとるようにしてください。
※長崎豪雨災害は内閣府が採用している災害の名称です。気象庁は昭和57年7月豪雨、長崎県は長崎大水害と呼んでいます。ここでは長崎豪雨で統一しました。
防災ログ事務局:南部優子