11月5日は津波防災の日・世界津波の日 防災ニュース

2022年11月8日

11月8日 津波対策を総合的・効果的に推進するため「津波対策の推進に関する法律」が2011年に制定され、理解と関心を深めるために11月5日が「津波防災の日」と定められました。2015年には、国連防災世界会議で日本が津波の日の制定を提案し、同11月5日が「世界津波の日」として採択されました。

11月5日が津波に関する日として選ばれたのは、今から170近く前の1854年に発生した安政東海・南海地震の「稲村の日」に由来しています。安政東海・南海地震は、11月4日午前9時ごろに東海地震、11月5日の午後4時ごろに南海地震と、30時間ほどの間に立て続けに発生したペア地震でした。揺れは関東から九州までの広い範囲に及び、大津波が沿岸を襲って甚大な被害が発生しています。

安政東海・南海地震は、現在、ここ30年の間に発生する確率が高いとされている南海トラフの巨大地震と同じ震源域で発生した、海溝型の地震です。実は、この安政の地震からおよそ150年前の1707年10月4日に、宝永地震と呼ばれる巨大地震がありました。このときのようすが語り継がれていた形跡もあり、宝永地震と安政地震を比較して類似性や法則性を指摘した文献もあります。

安政南海地震は、安政東海地震の翌日に発生しました。紀伊半島や四国の沿岸で津波による家屋流出・倒壊の被害が大きかったのですが、死傷者は少なくかったといわれています。前日の東海地震による強い揺れと津波を体験していたこともあり、「地震の後には津波が来る」と予測し、いち早く高台へ避難した人たちが多くいたのではないかと考えられています。

もうひとつ、安政南海地震で有名になったのが「稲むらの火」という逸話です。地震発生は旧暦の11月5日、太陽暦で12月23日の夕方で、あたりは真っ暗。逃げ惑う村人のために、ちょうど収獲が終わったばかりの稲むらに火をつけて避難を促して大勢の村人の命を救い、被災後も堤防を築くなどの復興支援に尽力した濱口梧陵の話が元になっています。ラフカディオ・ハーンの小説にもなったことで有名になりました。

プレート移動による海溝型の地震は、周期的に襲ってきます。安政南海地震のときも、過去の教訓からいち早く避難したことで命を守ることができた人が大勢いました。私たちも、いまいちど、これまでの教訓をふりかえりつつ、命を守る行動について考えてみてはいかがでしょうか。

内閣府では、津波防災の日を記念して特設サイトも開設されています。各地の訓練やイベント情報、津波防災動画、津波のしくみや心得を記したコンテンツがあります。
https://tsunamibousai.jp/

出典:内閣府 津波防災特設サイトキービジュアル

防災ログ事務局:南部優子


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