世界で初めて政府の施策がまとまったリスボン大地震 防災ニュース

2022年11月10日

11月10日 今から300年近く前の1755年11月1日9時20分ごろ、ポルトガルの首都リスボンを巨大地震が襲いました。震源地はポルトガルの西南西約200kmの大西洋。地震の規模を示すマグニチュードは8.5~9.0相当だったといわれています。

巨大地震による激震、最大で30mにもなった津波、6日間続いた火災により、リスボンの中心部にあった主要な政府機関、教会関連施設、貴族の邸宅、一般家屋が崩壊、消失しました。当時のリスボン住民約25万人のうち、死者は1万人、4万人、9万人とも、意見が一致しないほど多数だったといわれ、建物崩壊はリスボン市内の85%にも及んだとされています。

18世紀のポルトガルは、ロンドン、パリ、ナポリに次ぐヨーロッパ第4の都市で、栄華を極めていました。11月1日は万聖節というキリスト教の祝日で、多くの信徒が教会へ集まっていたこともあり、被害が大きくなったといわれています。

この地震の影響は、ポルトガルの一都市にとどまりませんでした。ちょうどこの頃発展した出版文化に乗って、地震の状況はヨーロッパ全体に伝えられ、ヴォルテールとルソーの論戦や、カントの地震に関する論文など、地震の原因や意味についての議論が盛んに行われました。また、リスボンの地震を契機として、地震について科学的に研究しようという試みがイギリスを中心に始まりました。近代地震学の誕生のきっかけとなったともいわれています。

リスボン地震はもうひとつ、世界で初めて国家単位での支援施策が展開された地震としても知られています。震災から3年後には『リスボン市が1755年に被った地震において取られた主要な措置の覚書』が出版されました。これは、当時の出版物に必須だった異端審問所や教会による検閲・認可を通らず、政府の保護・後援を受けて発行されたものでした。今後同じような震災が起きたときの参考となるよう、政府の震災対策が14のカテゴリーに整理して記載されています。
1)疫病対策
2)気が対策
3)病人・傷病者保護
4)人口の固定
5)略奪防止・処罰
6)沿岸部の治安維持
7)他の久石救援・植民地との連絡
8)リスボンへの軍隊招集
9)居住手段の緊急構築
10)教会における礼拝の復活
11)修道院への修道女の収容
12)その他多様な措置(鎮火支援、瓦礫撤去、法定の回復、消費と分配の回路の改善など)
13)神への感謝
14)リスボン再建

防災ログ事務局:南部優子


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