関東大震災より220年前に発生した元禄の関東地震 防災ニュース

2022年11月29日

11月29日 防災の日の由来ともなっている最大級の地震「関東大震災」は、今から約100年前の1923年(大正12年)9月1日に発生しました。関東地震は、相模トラフで発生した海溝型の巨大地震とされます。海溝型の地震は繰り返し発生しており、大正時代の関東地震の一つ前は、江戸時代中期の元禄時代に発生しました。

元禄の関東地震は、1703年(元禄16年)11月23日(新暦12月31日)の真夜中に発生しました。地震の規模を示すマグニチュードは、推定でM7.9~8.2だったとされています。推定震度は、相模湾沿岸から南房総にかけて震度7~6程度でした。震源に近かった小田原城下は火災のため壊滅状態になり、江戸の中でも家屋倒壊などの大きな被害が生じました。また、伊豆半島や房総半島には、高さ10m前後の津波が襲来したとされています。この地震津波により、関東南部や伊豆半島を中心に、死者1万人以上、全半壊の家屋は2万3千棟以上と、大きな被害になりました。
元禄は、町民文化が発展し、活気のある明るい時代として知られています。しかし、元禄の後半は、大火や地震などに見舞われました。元禄地震は幕府の財政に大きな影響を与え、そのインパクトから元号を変える一要因になったともいわれます。

元禄の関東地震(推定M7.9~8.2)と、大正の関東大震災(M7.9)では、元禄のほうがやや規模が大きかったとされています。津波は、元禄の関東地震のほうが大正の関東大震災より高くなり、大きな被害を生じました。
元禄の関東地震の江戸と、大正の関東大震災の東京とを比較すると、揺れは同じようなものだったとされています。しかし、人的被害(死者)数は大正の関東大震災のほうがはるかに多くなりました。史料の少なさからの過小評価があることを考慮したとしても、江戸で火災の発生や幕府の救済例などの記録が残っていないというところからも、元禄の地震では被害が少なかったことが推察できます。

元禄の関東地震の当時、隅田川の東側は湿地帯の名残が多く、ほとんど人が住んでいなかったとされます。一方、大正の関東大震災では、隅田川の東側の地盤が軟弱な箇所で多くの家屋が全壊し、さらに全壊した家屋から多くの延焼火災が発生し、拡大していきました。埋立工事や堤防工事の技術が進展し、多くの人が軟弱な地盤の土地にも住むようになったところ、耐震対策を施していない家屋が強い揺れにより被害を受けたという構図が見えてきます。

みなさんは、今住んでいる土地が過去にどんな地勢だったのかをご存知でしょうか。古地図や古文書、過去の災害記録などから読み解き、大きな揺れに耐えられる対策がとられているかを今一度確認し、備えておくことをおすすめします。


(画像出典:内閣府 過去の災害に学ぶ39元禄地震(1703年12月)より 図1元禄地震の震度分布)
https://www.bousai.go.jp/kohou/kouhoubousai/h25/74/past.html

防災ログ事務局:南部優子


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