2年強の間に3度発生した南海トラフの地震 防災ニュース

2022年12月8日

12月8日 南海トラフは、静岡県沖の駿河湾から宮崎県沖の日向灘まで、太平洋側に長く伸びる海底プレートの沈み込み帯です。プレートは5つのエリアに区分けされ、震源域となった場所によって「東海地震」「東南海地震」「南海地震」と呼ばれます。2つ以上の地震が連動することもあります。また、3大地震の最西端に「日向灘地震」もあり、過去に連動した可能性が指摘されています。

南海トラフの地震はプレートの沈み込みによるエネルギーの歪みが揺れとなって放出されることで発生するため、マグニチュード8クラスの大規模な地震が100年~200年ごとに発生します。また、ひとつのエリアで大きな地震が発生した影響を受け、時間差でもうひとつのエリアに大規模な地震が発生することもあります。実は昭和の時代に、プレート内で2回、プレート内断層で1回、立て続けに3度も大きな地震に見舞われて大きな被害が発生しています。このときは第二次世界大戦中だったため、地震に関する情報は極秘扱いとなり、「隠された地震」とも言われています。

■1944年昭和東南海地震(昭和19年12月7日13時35分発生)マグニチュード8.0
紀伊半島沖のプレート(熊野灘付近)を震源とする地震。紀伊半島東部、伊勢湾周辺、熊野灘沿岸で揺れが激しく、被害は静岡・愛知・三重の各県で大きくなった。伊勢・三河湾では道路や堤防の沈下や地割れが各所に発生。特に名古屋市南部の臨海地域で地盤の亀裂や沈下、液状化、涌水がみられた。
死者998名、負傷者3,059名、住宅全半壊73,080戸。

■1945年三河地震(昭和20年1月13日3時38分)マグニチュード7.1
渥美湾を震源地とし、プレート内断層の地震。東南海地震からわずか1カ月後に発生した。矢作川下流域を中心に甚大な被害が発生。名古屋市域では港区・南区の被害が特に大きくなった。
死者1,961名、負傷者896名、住宅全半壊17,245戸

■1946年昭和南海地震(昭和21年12月21日4時19分)マグニチュード8.1
紀伊半島沖のプレートを震源とする地震。東南海地震から1年後に発生、津波は九州から静岡県までの広い範囲に襲来した。東北地方南部から九州にかけて広く揺れを感じる巨大地震となり、広範囲にわたり甚大な被害が発生。特に高知、和歌山、徳島など、九州から中部地方に被害をもたらした。
死者・行方不明者1,443名、住宅全半壊28,274戸、家屋流出1,451戸、家屋焼失2,598戸

これらの地震から75年以上が経ちました。南海トラフの地震が周期的に繰り返すことを考えると、あと数十年で巨大な地震が立て続けに発生する可能性も捨てきれません。地震は「来るかどうかわからない」ではなく、「いつ来てもおかしくない」という心構えで備えをしておきましょう。


画像:康順寺本堂のようす。昭和東南海地震時(左)では外見では被害が認められなかったが、1カ月後に発生した三河地震時(右)には全壊し、瓦礫の山になった。
出典:内閣府『1944東南海・1945三河地震報告書』P155
http://www.bousai.go.jp/kyoiku/kyokun/kyoukunnokeishou/rep/1944_tounankai_jishin/index.html

防災ログ事務局:南部優子


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