BCPの重要性に気付かされた大地震 新潟県中越地震・中越沖地震 防災ニュース

2023年10月12日

<10月12日投稿>新潟県は、2004年10月と2007年7月の3年たらずの間に2度も大規模地震に見舞われました。地震の規模はいずれもマグニチュード6.8でしたが、一方は内陸を震源とし最大規模は震度7、もう一方は海中を震源とし最大規模は震度6強と、多様な様相となりました。

【新潟県中越地震】
この地震は、2004年10月23日17時56分に発生。震央は新潟県中越の内陸で、規模を示すマグニチュードは6.8、最大震度は新潟県川口町で震度7を観測しました。中山間地を直撃した大地震により、死者68名、負傷者4,805名、住家全壊3,175棟、住家半壊13,810棟、住家一部損壊104,619棟と甚大な被害となりました。土砂災害も多く、山腹崩壊を含む土石流が21件、地すべり131件、がけ崩れ115件が発生。孤立集落もたくさんできてしまいました。また、余震活動も活発でした。山古志村(当時)は約2年間全村避難を余儀なくされています。

【新潟県中越沖地震】
この地震は、2007年7月16日午前10時13分、新潟県上中越沖の深さ17km地点で発生。規模を示すマグニチュードは6.8で最大震度は新潟県柏崎市、長岡市、刈羽村で6強を観測し、北信越地方を中心に大きな揺れとなりました。地震により、死者15名、負傷者2,345名、住家全壊1,319棟、住家半壊5,621棟、住家一部損壊35,070棟の被害が生じました。土砂災害は、地震発生直後だけでなく10日後の降雨によりさらに被害が発生し、地すべり26件、がけ崩れ82件となりました。ライフラインの被害も大きく、約37,100戸が停電したほか、都市ガスは31,179戸、上水道58,961戸が断水。電話は800回線が不通となり、携帯電話基地局は126局が停波しました。その他、道路被害農地被害なども多数発生しました。また、海中で発生した地震であったこともあり、最大震度を観測した柏崎市と刈羽村に位置する柏崎刈羽原子力発電所で、想定を超える地震の揺れが観測され、機械の破損や建物のひび・剥離、水漏れなど、大小あわせて3,427件の被害やトラブルが発生しました。

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2007年の新潟県中越沖地震では、まだ2004年の新潟県中越地震の記憶が新しい中、地震対策が進められたり訓練などが行われたりと地震の備えがある程度なされていたとも考えられます。また、後の地震の方が比較的震度の低い事象だったことも幸いし、人的な被害が大きくならないですんだといえるかもしれません。しかし、大規模地震の場合、命の問題だけでなく経済へのダメージが大きくなると、社会全体の生き残りが困難になってしまいます。

新潟県中越沖地震では、自動車の部品メーカーの工場内で機器などが転倒し、設備が大きく被災したため、エンジンに欠かせないピストンリングの生産が停止してしまいました。このメーカーの国内シェアは5割を占めていたことから、全国の自動車メーカー全社が一時的に生産を停止せざるを得なくなる自体が発生したのです。先の新潟県中越地震をふまえて補強対策や事業継続計画(BCP)策定を進めていた矢先でした。
この部品メーカーの被害に対しては、取引先の自動車メーカーの社員が支援に駆け付け、約1週間で操業を再開することができました。技術職だけでなく、被災経験のある総務担当者も含め、多いときには1日800人が集まったといいます。また、水道の復旧の際には、地域も早期の再開を応援してくれました。新潟県中越沖地震のこの教訓をふまえ、サプライチェーンなど、自社の被災が経済に及ぼす影響を考慮し、BCPの重要性が注目を集めるようになり、国の省庁も力を入れて取り組みを進め、全国各地での対策強化が図られたのでした。

いつどこで起きるかわからない地震は、新潟県の例のように、数年で連続することも考えられます。「一度起きたらしばらくは回ってこないだろう」と高をくくらず、繰り返し起きる災害の中でも事業継続ができるよう、BCPの改善や訓練などで生き残る力をつけていきましょう。

画像提供:新潟県『新潟県中越大震災の記録』道路施設の被害と復旧状況より 地すべりによる朝日川の河道閉塞のようす

防災ログ事務局:南部優子


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