世界初の地震学会誕生のきっかけになった横浜地震 防災ニュース

2024年2月16日

<2月16日投稿>震度や被害の大きさではなく世界に大きな影響を与えたことから名称が与えられた地震があります。1880(明治13)年2月22日の深夜0時50分ごろに発生した横浜地震です。地震の規模を示すマグニチュードは5.5~6.0程度だったとされ、揺れの大きさは極端に大きなものではありませんでした。被害も煙突の破損や家屋の壁の落下程度だったとされています。

ところが、この地震は当時の明治社会に大きなインパクトを与えることになりました。当時は、明治に変わって十年と少し経ち、外国から数多くの科学者や技師、教師らが日本に入り始めたころだったのです。地震を経験したことのない外国人にとって深夜に発生した地震は驚異でした。

この地震をきっかけに地震学を専門とする「地震学会」が設立されました。これは世界初のもので、アメリカの地震学会に比べて30年以上も早い誕生でした。当時中心的な役割を担ったのが、英国から来た鉱山技師のジョン・ミルンです。ミルンは、振り子による余震の観測のほか、壁のひび割れの方向や幅、地鳴りの聞こえ方などの聞き取り調査を行うなど精力的に活動する中で組織的に科学的調査研究を進める必要を感じ、地震発生から約1か月後に日本地震学会を創設しました。

当時の会員は117名。このうち日本人は37名、日本に在住する外国人62名、在外会員18名での出発でした。数学・物理関係の学者などが参加し、地震の科学的研究が行われるようになります。

この後、外国人教師が帰国したため活動はいったん下火になるのですが、1891(明治24)年に発生した濃尾地震により再び関心が高まり、今度は震災予防調査会が設立されます。この調査会によって火山現象も含めた広範な調査研究が行われるようになり、活動は、関東大震災を経て、1925(大正14)年に設立した地震研究所へと引き継がれました。このとき、活動の中心的存在となって日本の地震学を国際的に高い評価を得るまで進展させたのが、ミルンら近代地震学の後継者とされる大森房吉でした。大森は、地震帯の発見、余震の減少についての大森公式、初期微動と震源距離の関係についての大森公式など数々の功績を残しています。1914年にはノーベル章物理学委員会から論文提出の依頼状が届くほど、国際的に高く評価されました。

現在の災害事象の観測や調査研究は、このような実災害での体験や教訓から進展しているものが数多く存在します。ときにはこのような歴史的背景にも目を向けて、現在の技術の進歩や限界、今後の可能性や活用方法などを考えてみてはいかがでしょうか。

画像出典:東京大学地震研究所「日本地震学会の誕生」より

防災ログ事務局:南部優子


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