おかしいぞ!防災の常識 (Vol.7) コラム
10月31日
6 災害対応
災害対策研究会 宮本 英治 / 釜石 徹
【情報】
6-1. 緊急地震速報の限界
緊急地震速報は断層の割れ初めの情報であるP波を検知し、震源、マグニチュードを推定し、各地のS波到達時間と震度を予想する地震発生後の情報である。直下地震では断層近くでは間に合わない。巨大海溝型地震では震源が遠いため時間はあるが、断層の割れ初めの情報を用いるためマグニチュードは小さめになり、予想震度は小さめになる。
※要補足
・東日本大震災での実績を記載する。
・南海トラフ時の名古屋の状況を記載する。
・首都直下地震での予測を記載する(警報が出る前にP波を体感している)
6-2. 気象庁発表のマグニチュードは正しい?
気象庁が東日本大震災で発表したマグニチュードは当初は7.9であり、マグニチュードを9.0に変更したのは2日後である。気象庁は北海道南西沖地震で津波警報が間に合わなかったことから、マグニチュードをいち早く予測し、それに基づき3分以内に津波警報を出すことしたが、その手法は巨大な海溝型地震には適用できないものであった。
※要補足
・津波警報が出るまでの仕組み
6-3. ラジオやテレビの情報は正しい?
東日本大震災後に気象庁が発表したマグニチュードは7.9で、それに基づく津波警報は岩手3m、宮城6m、福島3mであった。これでは堤防の高さを知っていて逃げない方がいる。3時に流れた津波到達情報(津波が到達、〇〇で60cm・・)では、せっかく避難した多くの方が寒さに耐えきれず帰宅し亡くなった。
6-4. 気象庁や自治体は巨大な津波は分からなかった?
気象庁の津波警報の第1報は岩手3m、宮城6m、福島3mであり、10m以上に変更したのは津波が到達してからであった。しかし東北大学などによって沖合に設置された水圧計から津波予測が可能となっており、気象庁や沿岸自治体への送信されていた。気象庁にも石巻市にも巨大な津波は襲来しつつあることは伝わっていた。
6-5. 地震発生直後の情報とは?
地震発生直後に放送局から流れる情報は「放送局の中も大きく揺れています!!」、3分後には気象庁
発表する地震情報(震源、マグニチュード、震度分布)と津波情報、そしてまもなく津波到達情報(誤報もある)。その後、軽微な被害情報は入るが、甚大被災地からの情報は入らない。自治体や企業の参謀は震度分布で先読みする能力が試される。
※要補足
・震度情報で先読みできる内容の説明
・東日本大震災でのブラックアウト(大槌、山田など)について
6-6. 戦場の霧と指揮官の役目
大将(指揮官)と小隊長は異なる。小隊は目前の生き埋め・出火に全力であたる。大将(指揮官)は被害の全容を理解し(戦場の霧を晴らし)、方針を立て徹底を図る。東日本大震災での自衛隊は航空機による偵察結果に基づき陸海空を統合(JTF-TH)した。指揮官の訓話は「我々の前に道はない(先例はない)、道は我々が造る」であった。
※要補足
・トヨタの事例
・日本製紙石巻工場の事例
6-7. 情報優先(まず情報)?活動優先?
地震後の人命救助・初期消火は一刻を争う。行政職員は消防職員の10倍の人員であり市民の先頭に立って人命救助・初期消火に当たるべきである。倒壊家屋や出火場所は現場に出て見ればわかる。阪神淡路大震災で発生当日から人命救助活動に出動した行政職員は「(緊急ではない)情報収集はするな!」と語っている。
6-8. 誤った情報(防災の常識)を日本中に広めたのは誰?
誤った情報(防災の常識)が日本中に広まってしまった。
・地震だ!避難!逃げるだけの防災訓練
・サザンの(わびしい)TSUNAMI
・72時間を過ぎたら急激に落ちる生存率?
正しい知識、正しい予防対策、正しい対応とそのための備えを広めなければならない。
【初動対応】
6-9. マニュアルは紙1枚の手順書
地震発生直後には現場が見えない本部からすべての指示を出すことは無理である。分厚いマニュアルを読んでいる時間もない。現場は事前に決められた手順に従って粛々と対応していき、時に臨機応変な対応も必要であり、手に余る場合に本部の指示を仰ぐ。普段からリアルな手順書と様々な状況を想定したリアルな訓練が必要である。
6-10. 停止したエレベータは開けられない?
都市直下地震では多くのエレベータが異常をきたし閉じ込め者が多数発生するため、業者による救出には1週間程度に及ぶと思われる。その間、閉じ込め者は悲惨な状況となる。このような時はマンションの管理組合員などがエレベータの扉を開けることができる。そのためにはエレベータ会社の講習が必要であるが。
6-11. 72時間を超えると急激に生存率が低下する?
災害後(大島や広島の土砂災害でも)72時間を迎えると「生存率が急激に低下する72時間」が叫ばれる。あなたは土砂に埋もれて72時間生き続けられますか?呼吸ができない水面下で72時間生き続けられますか?72時間とは「致命傷が無く、生存空間がある場合」が前提である。災害発生後に生存率は急激に低下する。72時間ではなく数時間との争いである。
6-12. 直下地震での生存率は?
阪神淡路大震災で人命救助にあたった芦屋市役所職員の談話では、救出者の生存率は当日で80%(ただし12時間後の日没時には50%)、2日目は20%、3日目は0%で救出は時間との争いである。特に3日目は海側(阪神電車沿い)で多くの下宿生のご遺体がでた。なお、神戸大学の学生の死者39名の内、37名が下宿生であった。
6-13. 救出は消防の役目?
阪神淡路大震災の住宅地では人口1万人当り(大きめの小学校区)で、倒壊家屋の下敷き・閉じ込め者は50人に1人の200人、重傷者はその半分の約100人、死者はその30%の30名(人口の0.3%)であった。それに対して消防職員は人口1000人当り1人、1万人あたり10名で2交代であれば出動する消防車は1台である。戦えない。
6-14. 非常袋を持って避難する?
地震発生後は先ずは自分と家族の身の安全、自宅の安全、次に近隣の救出救助・初期消火である。備蓄は重要であるが重たいものを担いだままでの活動は困難、備蓄は家に置いておけばよい。持ち出すべきは消火器や救出道具のはず。なお、地震発生後にバスタブに水をためている時間はない。普段からの習慣とすべきである。
6-15. 対応困難重傷者は助かるか?広域搬送の限界
内閣府等の被害想定項目には死者とは別に対応困難重傷者がある。被災地の医療機関の対応力を超える重傷者であり、応急救護の後に被災地外への広域搬送が必要である。しかし2001年に広域搬送計画を検討した関係者の議論では、空路による広域搬送能力は日本の総力を挙げて1,000名で、大半の対応困難重傷者は数日で死者となる。
【被災生活】
6-16. 避難所とは?保養所?
避難所とは逃げ込む場所ではなく、家を失いながらも生き延びた方が身を寄せる収容所であるが、同時に在宅被災者を含む地域の拠点(物資配給拠点や情報拠点)である。東日本大震災で行政担当者や学校教員が運営した避難所では在宅被災者を拒絶したところもある。避難所は町会・自治会を主体に、収容避難者と在宅被災者が協力して運営せよ。
※要補足
・教員は施設管理者として避難所運営に協力すべき。そして被災後の最大のテーマは早期の教育再開、すなわち早期の避難所撤収が目標のはずである。快適な保養所作りを目指してはならない。
6-17. 自宅の備蓄は3日間で十分?
都市直下地震や巨大海溝型地震ではライフラインも物流も長期に停止する。郊外であれば裏山に薪があり水が湧き、納屋には食料があるが、都会では2週間~1ヶ月の自活(自宅でのキャンプ生活のイメージ)をお勧めする。なお、水とカセットコンロがあれば、停電とはいえ冷蔵庫の中や乾麺など普段から1週間程度の食料はある。
災害対策研究会