防災に対する向き合い方が覆った東日本大震災【3.11の教訓】 コラム

2020年3月11日

3月11日 3月11日は、東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)が発生した日です。今年で9年たちました。新型コロナウイルス対策で様々な行事が自粛となっている今、集まって追悼することはできなくても、それぞれの場にあって、「3.11」が示す意味を受け止め、これからの行動につなげていくことはできます。数字だけでは表しきれない当時の状況も含め、あらためて思い起こしてみましょう。

平成23(2011)年3月11日14時46分、三陸沖深さ24kmで地震が発生しました。モーメントマグニチュード(Mw)は9.0という大規模な揺れです。宮城県北部を中心に最大震度7。数分にわたる大きな横揺れが続いたといいます。巨大な揺れを受け、ライフラインは完全に停止。道路や鉄道にも大きな被害が発生しました。

気象庁は3分後に大津波警報を発表します。数十分後から巨大な津波が繰り返し襲いました。観測機器が測定不能となり、推定値で10mを超えたところもありました。津波は川を遡上して平野部にも広がります。この地震は、それまでに想定されていた範囲よりずっと広いプレートが一度に動いた「想定外」の大きさでした。このため、津波も「ここまでは来ないだろう」という予測をはるかに上回る規模で襲いかかりました。

地震が発生したのは年度末せまる金曜日の午後。早春の、雪もまだちらついて寒さが残るときでした。高台に逃げたり屋上に上がったりする人たちがいる一方で、駐車場や校庭にいったん集まってようすをみたり、バスに乗せて入所者を返そうしたり、車で迎えに行こうとしたりする人で街は混乱しました。停電して信号機が機能していないため、四方から車が来てしまい身動きがとれなくなる「超渋滞(グリッドロック)現象」が起きました。そこへ津波が押し寄せたのです。
津波注意報関連はまる2日たってから解除されます。沿岸部は瓦礫の山になり、復旧作業のために瓦礫を撤去しようとすると行方不明となっていたご遺体がみつかるような毎日が続きました。

長大な震源域の海溝型地震として、史上最大級の範囲、最大級の大津波、原発事故を併発した「想定外」の大規模災害はとなった東日本大震災。令和2年3月10日現在、災害関連死を含む死者1万9,729名、行方不明2,559名。9年たつ今もなお、全国に4万7,737名の避難者を残す巨大地震は、日本列島全体へ多大な影響を与え、その後の関連法や災害対策を一変させていきます。

東日本大震災後に対策が検討されるようになった主な影響を挙げてみましょう。
・甚大な津波被害(逃げ遅れ、避難生活や業務再開の長期化、データ喪失による復旧困難など)
・都市機能の麻痺(大量の帰宅困難者発生、長周期地震動による広範囲の被害)
・経済活動の麻痺(サプライチェーンの寸断、物流システムの機能低下)
・インフラ機能の著しい低下(電力不足、輸送機能の低下、燃料不足など)
・自治体の被災による災害対応の機能停止(対策本部の機能不全、自治体同士の連携困難など)
・情報の混乱(SNSによる誤情報の拡散、急激なアクセス増加による機能停止)

翌年度の防災白書によると、科学技術、災害予防、国土保全、災害復旧、国際協力の5つのテーマで459の項目を数える対策がとられていきました。

東日本大震災が私達につきつけたのは、どんなに災害を「防災」しようとしても必ずそれを上回る状況は発生し、災害対策にあたる国も自治体も、救援部隊も同時に被災するという事実です。そのような巨大災害の前では、自助・共助・公助がそれぞれ連携しあい、少しでも被害を小さくする「減災」の考え方を心にとめて最大級の事前対策をとっていかなければならないという考え方が育ちました。

今後、長大な領域のプレートが破砕したときの巨大地震として発生する確率が高いと言われている南海トラフ地震への対策は、この東日本大震災での被災が身をもって教えてくれたことを踏まえて整備されてきています。上に掲げた社会的な影響は、対策が進んできている今でも無視できない被害を生むことが予測されます。
3.11の状況を再考する機会の多くなる今こそ、いまいちど「自分のまわりに起きたらどうなるか」をイメージしてみてはいかがでしょうか。

防災ログ事務局:南部優子


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