津波被災から9年 最後の集団訴訟終結【3.11の教訓】 コラム

2020年3月23日

3月23日 東日本大震災発生から9年、津波災害による犠牲をめぐり遺族たちが起こした裁判で、最後となっていた集団訴訟の和解が3月12日に成立しました。この和解をもって、自治体や企業などに損害賠償を求めた宮城県・岩手県の主な集団訴訟がようやく終結したことになります。今回和解が成立したのは、宮城県名取市の閖上(ゆりあげ)地区で起きた集団訴訟です。防災行政無線が故障して避難指示などの情報が届かず津波被害にあったとして、遺族が市に対し、6700万円の損害賠償を求めていました。

和解内容としては次の3点が盛り込まれています。和解金はありませんでした。
(1)市が遺族に対し、機器の故障により防災行政無線が作動しなかったことへ深い遺憾の意を表明
(2)職員の防災意識向上を図る訓練などの対策措置
(3)4月開館予定の市震災復興伝承館に第三者検証委員会の報告書を展示
和解内容から指摘されているポイントを3点、みていきましょう。

■防災行政無線が鳴らず避難指示が届かなかった
ここでは、防災機器を設置すれば安心という意識で、災害が大きいと機器自体が被災して故障することを前提にした点検・防御措置や故障時の対策を怠ったことが指摘されているといえます。事前対策は、用意さえしていれば大丈夫なのではなく、点検・更新のメンテナンスが重要であることが問題となっているのです。

■無線が鳴ったかどうかを確認しなかった/無線以外の避難の呼びかけをしなかった
実はこの地区では、それまでに小さな津波で対応ができていました。このため、災害対策にある程度の自信があったことが災いし、想定外の事態が起きたときの状況判断を誤り、対応が適切かの確認を怠ったり、予定の対応ができなかった場合の代替処置をとらなかったりといった非常時対応の不備が指摘されています。

■第三者委員会設置の遅さ、報告書の公表の消極性
遺族が防災無線の不備により避難指示や避難誘導に不備があったのではないかと知ったのは震災から1年たった後でした。その後公開質問状を出すのですが、市の回答は簡素で、直接の質疑応答の要求も拒否します。署名運動などが広がり、第三者検証委員会が設置されたときには震災から2年半もたっていました。はじめに訴えがあったとき、自らの対応を真摯に検証し、今後の教訓として改善へつなげようとしなかったという姿勢のありかたが問われています。

今回の事例は、市に対して住民が起こした集団訴訟でしたが、企業も無関係ではありません。人災に限らず、どんな大きな自然災害であろうと「仕方がなかった」は通用しなくなっているのです。
(1)適切な事前対策
(2)不測の事態を想定した対応の備え
(3)被害を起きしてしまった場合の真摯な姿勢の広報と対応
という3つの要素は、そんな小さな組織でも必要です。実際の災害から起きたケースをよくみて、備えておきましょう。

防災ログ事務局:南部優子


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