対口(たいこう)支援の原型となった四川大地震は、北京オリンピック直前の災害だった コラム

2020年5月23日

5月23日 今から12年前の2008年5月12日14時28分(日本時間15時28分)、中国の四川省北部でマグニチュード8.0(モーメントマグニチュード7.9)の地震が発生しました。約3カ月後の8月に北京オリンピックを控えていたときでした。死者7万人近く、重軽傷者37.5万人近く、行方不明者1.8万人近く、建物倒壊21.6万棟、損壊415万棟という巨大災害となりました。中学校が倒壊し、900人の生徒が生き埋めになったニュースは日本でも大きく報道されていました。

この地震は、阪神・淡路大震災と同じような直下型地震でした。特に大きな振動の継続時間が長かったことから、被害が大きくなったと言われています。最大震度は日本の気象庁震度階の「7」に相当する大きさとなり、震度6弱相当以上の震度となった地域は約400kmにも及びました。これは日本の東京から名古屋までの地域が震源域になる大きさです。

広域にわたり甚大な被害が発生したため、中国政府は「対口(たいこう)支援」を打ち出しました。これは、支援を受ける被災地と復旧・復興を支援する地域とを一対一のペア関係となるよう割り振って分担する方法で、1970年代から中国の経済発展政策として用いられてきたしくみを用いたものです。支援の集中や重複を避け、復興のスピードに貢献しました。

四川大地震の対口支援は主にインフラ整備などのハード面を中心に行われました。この被災地支援は3年後の2011年3月に日本で発生した東日本大震災に参考にされました。例えば関西広域連合では、神戸市は名取市、西宮市は南三陸町とペアを組み、支援を行うといったかたちです。この広域連合のしくみは、ブロックで活動することにより、応援が引き上げたらすぐ別の自治体が入るなど、応援の息切れがないように応用されています。また、ハード面だけでなく、職員の派遣などのソフト面にも広がり、長期に渡って支えることができるようになってきています。

防災ログ事務局:南部優子


関連ニュース