濃尾地震 近代の地震対策の原型をつくった巨大地震 防災ニュース

2020年10月28日

10月28日 10月28日は濃尾地震の日です。来年で130年を迎えるこの地震は、明治に入って近代へ向かおうとしていた都市を襲った巨大な内陸地震でした。近代行政システムによる初動対応、マスメディアによる報道、地震の科学的調査機関の設置、耐震建築の研究など、現在の地震対策の原型となる先駆的存在となりました。

濃尾地震は、1891(明治24)年10月28日、午前6時38分に発生。マグニチュード8.0と、日本の内陸で発生した過去最大級の地震でした。震源となった断層から濃尾平野にかけて震度7を記録し、震度6の地域は福井県・岐阜県・滋賀県・三重県、大阪府の地盤の緩いところにまで広がりました。揺れは広範囲にわたり、東北から九州まで感じられたといいます。この地震により、岐阜県・愛知県を中心に、死者7,273人、全壊した家屋14万2,177戸(愛知県被害史志より)と、甚大な被害が発生しました。

明治に入った近代都市が初めて遭遇した巨大地震で、岐阜県・愛知県ともに地震直後から活動を開始し、東京へ現状を当日のうちに報告、これを受けて臨時閣議の開催、内閣総理大臣の視察などの初動対応が比較的短期間のうちに行われました。救助活動は、警察・憲兵だけでなく名古屋駐屯第3師団が機敏に対応し、軍隊が災害出動を行う契機にもなったほか、備蓄金での炊き出しや国庫補助による土木復興など、近代行政システムによる災害対応の先駆となりました。

マスメディアが普及しはじめてから最初の地震でもありました。被害の翌日には報道が始まり、東京からも特派員を派遣して詳細に報道、写真での記録も進むなど、短時間でかなり正解に情報を共有する状況が現れました。

濃尾地震が近代黎明期の日本に与えたインパクトは大きく、初動対応や報道のあり方だけでなく、負傷者の緊急治療、救済費用、堤防・道路復旧作業と費用の調達、地域復興など、さまざまな震災対策の課題が明らかになりました。また、地震に対する科学的究明と予防の重大さから、地震から1カ月後には地震の原因究明と震災予防のための調査を打ち出しました。翌年には震災予防調査会が設置され、地震と内陸活断層の因果関係の究明や耐震建築に関する研究成果などを続々と発表し、地震防災に関する科学的研究が大きく前進しました。

濃尾地震から約130年。現在でも災害の原因究明や予防に関する結論が出るものではありませんが、この日をいまいちど思い起こし、自然現象を解明して防災・減災のあり方を考える原型となった濃尾地震の教訓から、私たちの行動を考えるきっかけにしてはいかがでしょうか。

<写真出典、参考文献>
内閣府『災害教訓の継承に関する専門調査会報告書 1891濃尾地震』
http://www.bousai.go.jp/kyoiku/kyokun/kyoukunnokeishou/rep/1891_noubi_jishin/index.html

防災ログ事務局:南部優子


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