11月5日は「津波防災の日」「世界津波の日」いまいちど備えを 防災ニュース

2020年11月5日

11月5日 11月5日は「津波防災の日」です。2011年の東日本大震災で甚大な被害を出した津波災害を受け、津波から命を守るための「津波対策の推進に関する法律」が制定されました。その中で決められたのが「津波防災の日」です。また、2015年には国連防災世界会議の中で日本の提案した津波の日の制定が採択され、11月5日が「世界津波の日」となりました。

11月5日が津波を考える日に選ばれたのは、今から170年近く前の1854年に発生した安政東海・南海地震に由来しています。安政東海・南海地震は、11月4日午前9時ごろに東海地震、11月5日の午後4時ごろに南海地震と、30時間ほどの間に立て続けに発生したペア地震でした。揺れは関東から九州までの広い範囲に及び、大津波が沿岸を襲って甚大な被害が発生しています。

安政東海・南海地震は、現在、ここ30年の間に発生する確率が高いとされている南海トラフの巨大地震と同じ震源域で発生した、海溝型の地震です。

実は、この安政の地震からおよそ150年前の1707年10月4日に、宝永地震と呼ばれる巨大地震がありました。このときのようすが語り継がれていた形跡もあり、宝永地震と安政地震を比較して類似性や法則性を指摘した文献もあります。

11月5日の安政南海地震は、安政東海地震の翌日に発生しました。紀伊半島や四国の沿岸で津波による家屋流出・倒壊の被害が大きかったのですが、死傷者は少なくかったといわれています。
前日の東海地震による強い揺れと津波を体験していたこともあり、「地震の後には津波が来る」と予測し、いち早く高台へ避難した人たちが多くいたのではないかと考えられています。

もうひとつ、安政南海地震で有名になったのが「稲むらの火」という逸話です。
地震発生は旧暦の11月5日、太陽暦で12月23日の夕方で、あたりは真っ暗。逃げ惑う村人のために、ちょうど収獲が終わったばかりの稲むらに火をつけて避難を促して大勢の村人の命を救い、非最後も堤防を築くなどの復興支援に尽力した濱口梧陵の話が元になっています。
ラフカディオ・ハーンの小説にもなったことで有名になりました。

プレート移動による海溝型の地震は、周期的に襲ってきます。安政南海地震のときも、過去の教訓からいち早く避難したことで命を守ることができた人が大勢いました。
私たちも、いまいちど、これまでの教訓をふりかえりつつ、命を守る行動について考えてみてはいかがでしょうか。

津波防災の日を記念して、内閣府では特設サイトも開設されています。オンラインでのイベントもありますので、ぜひ見に行ってみてください。
https://tsunamibousai.jp/

(1854年安政東海・南海地震の震度分布 内閣府 災害教訓の継承に関する専門調査会報告書1707宝永地震 図1-5)
http://210.149.141.46/kyoiku/kyokun/kyoukunnokeishou/rep/1707_houeijishin/index.html

 

防災ログ事務局:南部優子


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