熊本地震のボランティア初動活動を検証 災害対策全般

2016年8月21日

災害研究所所長 伊永勉

全国から続々と集まったが…

熊本地震発生から10日目の4月24日、被災地の様子とボランティア救援活動を見るため益城町を訪問した。全国からボランティアが多数集まって来ていたが、余震による二次災害防止や、被災者ニーズの把握が難しいことなどを理由に待機させたり、県外ボランティアの受け入れを中止したりといった混乱が続いていた。やがて避難者ニーズの把握が順当に進んで地元の商業施設も営業を再開し、食料や日用品の配布を縮小できるようになったが、今度は、都市部と山間部の避難所の格差が見られるようになった。避難所の統廃合では、自宅近くにいたいという被災者もいて、ボランティアの参加人数が減る中での配置など、運営に苦慮する状況が見えてきた。

かつて阪神・淡路大震災などで救援活動に携わった私のささやかな経験をもとに、災害時のボランティア活動についての考えを少々述べさせていただきたい。
 

社協に委ねるセンターの限界

近年、被災地では、社会福祉協議会(社協)がボランティアセンターを設置して運営するようになった。しかし、トラブルや問題はなくなっていない。阪神・淡路大震災では発生当初、地元の社協が被害を受け、ボランティア活動に関われなかった。平成9年の日本海重油災害では、福井県社協が災害対応はできないということで、センターの運営を地元青年会議所が引き受け、5万人弱のボランティアをやっと受け入れることができた。

国も自治体も災害時のボランティア対応の組織を常設していないため、社協に白羽の矢が立ったのだろうが、ボランティアセンター運営は負担が大きすぎる。職員が足りず、通常の高齢者や障がい者の介護・福祉事業で目いっぱいだ。

災害ボランティアは、専門技術を持つ組織、人の動員だけできる組織、専門技術を持つ個人、専門技術を持たない個人の4つに分類される。すべてを社協が運営管理することは無理だ。例えば、医療は地元の医療機関や日赤に任せ、救援物資の集配と仕分けは小売業界や流通業界の組合に託す、といったことを事前に組み立てておくことが望まれる。社協は本業である福祉や介護の専門家の集約と、一般個人ボランティアの管理を担当し、駆けつけてくれるNPOなどの経験豊かなリーダーに活動の指導を託すのが賢明ではないだろうか。

阪神・淡路大震災以降、防災をテーマにしたNPO法人が続々と誕生した。新潟中越地震や東日本大震災でさらに経験を積み、ボランティアリーダーとコーディネータと呼ばれる人材が育ち、防災士の制度も始まった。災害を経験した全国の社協や自治体の職員も応援に駆けつけるので地元社協の負担を軽減できる環境になりつつある。しかし、発生直後の混乱期を乗り切る対策が間に合っていない。

今後必要な対策は、社協に災害ボランティアセンターを運営できる能力とシステムをどのように構築するかである。災害コーディネータの育成が叫ばれているが、教材と指導者の人選も的確とは言えない。

無償で対価を求めない善意の行動にすべてを託する構造も考え直すべきだろう。日本では、欧米のような災害に備えた市民活動への資金提供が少なく、ことが起こるたびに義援金や支援金を募る事後対策に頼っている。被災者ニーズに合わせ、特に避難生活者への支援活動について、有償で派遣できる人材育成と仕組みを構築し、運営支援金を調達する制度を作ることが必要だ。大学などで高度な専門教育をして防災NPOや防災士会などからの受講も可能にし、修了者を登録して自主防災組織や企業、学校の防災教育などに有償で派遣するといった制度を考えてはどうだろうか。
 

なぜ過去の教訓が生きないか

さらに、まだ2つの課題が残っている。1つは、ボランティアの活動対象の分類だ。

被災者への個人支援は、被災地での最も大きな活動だ。物資配布や炊き出し、身の回りの補助など避難所生活への直接支援は被災者に大きな安らぎを与える。がれき撤去や衛生管理、情報伝達などの地域支援もある。

そして、もう一つ手がけてほしいのが、行政のサポート。行政職員が復旧復興作業に集中できるよう、雑用や被災者の窓口を代行する活動だ。行政や消防などの職員も被災者であり、不眠不休の業務で疲れ切っている。そのうえ、情報が増え、情報処理に追われる。この情報処理をサポートするということだ。

2つ目の課題は、ボランティア団体の横断的な連携をどう図るかだ。平時のイデオロギーや宗派等の壁を越え、先陣争いや主導権の主張もやめ、協働の仕組みを日常から構築することだ。すべてではないが、ボランティア団体の中には、自らの考え方と主張を優先させ、他の団体との協働を嫌がる傾向がある。過去の実績に酔っていると思われる団体、地域との連携を嫌う団体、自分たちの活動内容を周囲に見せることが目的のような行動もある。過去の例から見ると、各団体が民主的なネットワークを構築した上で、リーダーを決め、統制のとれた行動をとるべきだ。

過去の災害対応には、貴重な教訓が眠っている。書籍や映像には残されているが、いつも同じ失敗や問題を繰り返している。災害には同じ顔がないといわれることから、新しい知見を教訓としなければいけない。

災害ボランティア活動の教訓で、ほとんど忘れられているのが「西宮方式」ではないだろうか。手前味噌で申し訳ないが、阪神・淡路大震災当時、西宮市で結成された西宮ボランティアネットワークの活動プログラムは、災害時のボランティア活動のほぼ理想的な例であり、「行政サポート隊」の設立の意義とその効果は、参考にしてほしい手法だと信じている。
 
 

「西宮方式」~西宮ボランティアネットワークの活動の経緯~(参考)

◎1995年1月17日、阪神淡路大震災の発生を受けて、大阪を出発した伊永は、当日午前0時頃に西宮市役所に到着、市の総務部職員から、庁舎も壊れていて、人手も足りないということを聞き、市役所の電話で、ボーイスカウト大阪連盟に電話をかけたところ、すでに全国からボランティアの問い合わせが来ていることを知り、その受け入れを決定。関西テレビに報道を要請し、翌日18日午前8時から、神戸方面にボランティアに行きたい人は、ボーイスカウト大阪連盟に電話して、行き先を確認するようにと放送を行い、阪神電車と阪急電車が西宮まで運行できたため、続々とボランティアガ西宮市役所に集合。ボランティア希望者の60%に神戸方面への徒歩進行を説明し、残りは西宮市内の避難所に案内。200人程度を市役所に留めて、救援物資等の荷捌きを開始。(後に時事通信社が「行政サポート隊」と呼んだ)市役所の中は、足の踏み場もないほど破壊されており、6階から上に登れない状態。

◎1月27日、市内に来ているボランティア団体の代表者の集まりを呼びかけ、ボーイスカウト、ガールスカウト、YMCA、大阪ボランティア協会、大阪府社協、連合、その他任意の団体等13団体が集まり情報交換を開始した。

◎1月29日、西宮市総務部からの呼び出しを受けて、市当局も参加できる被災者支援組織を結成してほしいとの相談を受ける。各団体を招集して協議の結果、西宮ボランティアネットワーク(NVN)を設立し、伊永が統括本部長に就任。一部組織に属するのを嫌がる団体とボランティアは勝手に活動するといって参加しなかった。
※後日聞いたところ、伊永が本部長に指名された理由は、「各団体の中でボーイスカウトの制服を着用していることから、出身母体の説明が不要で、疑問を持たれなかったから」ということだった。

◎2月1日、市長とNVN代表伊永が協力協定に調印し、市長が記者会見を行い、2月から、市当局は復旧と復興に専念するため、避難所運営と被災者窓口はNVNに任せることになったと発表。これによって、避難所及び物資等の担当職員が大半撤退し、被災地支援の窓口はNVNに一本化した。

◎具体的に決まったことは、
 ・市役所地下1階の職員食堂をボランティア本部に提供
 ・自炊装備を設置し、50人分の宿舎を併設
 ・市役所地下1階の駐車場を食料専用倉庫にする
  ※地下にした理由は、外部から見えないので、被災者が取りに来ない。
 ・阪神阪急電車がボランティアの運賃を無料にする
 ・本部運営用の支援物品と支援金の受け取りをNVNに一本化
 (主な物品)NECファックス120台(全避難所に配置)
       東芝ストーブ35台(避難所に配置)
       松下電器産業パソコン10台(NVN本部とマスコミ用)
       NTT携帯電話50台(ボランティアリーダー連絡用)
       太陽工業エアーテント大型1機(乳幼児物資倉庫)
 ・ボランティアに市の経費で保険を掛ける。
 ・統括本部長は、自賠責保険1億円に加入。
 ・NVNへの支援金は、23,000,000円強集まる。

◎1月28日時点の避難所数は186か所、避難者数は約47,000人。

◎全国からの善意の救援物資は、3月末集計で、トラック340台、ゆうパック23万箱に至る。
 
 
2月からのNVNの活動概要
1. 厚生年金体育館を確保し、避難所になっていない2中学校とともに、救援物資倉庫とした。
 (市役所に来た久野政務次官に直訴して決定)

2. 全繊同盟と鉄鋼労連のトラック50台によって、大阪府内の滞っていた救援物資を一気に被災地に搬送。

3. 救援物資の食糧以外は、連合に依頼して、量販店労組、百貨店労組、医薬品・化粧品企業からのボランティア延べ2,000人により、衣類・日用品・文具・女性用品等の種別・男女・年齢等別に細かく分類(10日間で、段ボール8万箱を処理)
 ※連合の支援を受けた理由は、発災3日目に来た連合の幹部が被災地の応援のニーズを調べたが、神戸市と芦屋市で待機させられ、西宮市は即日要請を出したことから、NVNに参加することが決まる。

4. 全避難所に設置したFAXによって、前日20時までに、日用品(トイレットペーパー・生理用品・乳幼児用品・洗剤等)と特別な食料(アレルギー等)の欲しい物と、避難人数を本部に送信。本部で避難所ごとの物資一覧を作成。食料の数量は20%増しとして、避難所近隣の被災者にも配布可能とする。

5. ボランティアのための炊き出しに、長野県連合婦人会から毎週交代で生鮮食料の送付が9月まで続く。

6. 食料配給ボランティアは一日平均150人を午前5時に参集。

7. 朝5時30分までに、有志提供と市役所契約の軽トラック60台が集合。

8. トラックのフロント左に避難所名(番号)を大きく表示。

9. 配送トラックへの食糧の積み込む順番は、早く欲しいものを最後に積むと、着いたら一番に降ろせる順番に積む。
例)特別注文品⇒炊き出し材料⇒し好品(菓子類)⇒果物⇒主食(おにぎり・弁当当)⇒お茶⇒ペットボトル水)ただし、時期によって順番は変化する。注意事項は、人の背の高さ以上に箱を積み上げないこと。

10. トラックは全ての物資の積み込みを6分以内に済ませて、順番に指定の避難所に出発、7時からの朝食に間に合わせる。

11. 給水車は、独立して全市内を巡回。

12. 前日注文を受けた日用品等は、午後2時に配送

13. 市内3か所(公園・市役所前当)でバザーを開き、大型の物資(ガスコンロ・ポリタンク・毛布・防寒着等)を自由に持って帰れるようにする。(3か月で12回開催)

14. 5月3~5日に復興フェスティバルをJR西宮駅前広場で開催。休業中の飲食店に仮店舗提供、タレント等の協力を得ての舞台イベント実施。参加者2,500人。5日に、市民代表と市長がボランティアへの感謝の言葉を述べ、今後は市民で作った「市民ボランティアクラブ」が引き継ぐことを発表。

15. ロータリークラブから500万円の援助を受けて、全避難所滞在のボランティアへのお礼と撤退のきっかけとして、1泊2日の温泉ツアーを実施(18組)。ほぼ90%のボランティアが撤退。

16. 7月に入って、消防署から、物資倉庫での保管が危険な物資の処理を指示され、使い捨てカイロ4万個をスーパーニコニコ堂に売却し、その金額で仮設住宅の物干し台を購入して配布。

17. 被災者に配り切れないものや、ゴミとなった物資を処分するため、和歌山県の産廃処理業者と契約して、約1か月夜間輸送して処理して、約700万円の費用かかる。

18. ボランティア活動のために支出した経費(1年間)
 ・医療費の建て替え 120万円
 ・入浴代      135万円
 ・帰宅費用建て替え 300万円
 ・ゴミ処分費    700万円
 ・運営費      550万円(電気・ガス・通信・消耗品等)
 ・その他      300万円(出張費・会議費等)

19. その後、10月にNVNを解散して、日本災害救援ボランティアネットワーク(NVNAD)を再編成。翌年から、東海豪雨災害、北関東豪雨災害、日本海重油災害へと、救援活動を展開。

20. 8月には、関西の企業、労働組合、大学を交えて、災害救援ネットワーク関西(NAD-関西)を設立。東海地震時の関西からの救援ボランティアの進入経路の実地調査を行い、前線基地の設置を岡崎市、幸田町と調整した結果をまとめて、静岡県に提出する。

【写真】
災害時のボランティア活動熊本の震災被災地で家屋のがれきを片付けるボランティアの人たち
 
株式会社エクスプラス 災害研究所 
所長 伊永 勉
阪神淡路大震災記念人と防災未来センター友の会副会長
NPO大規模災害対策研究機構企画委員
http://www.saigaikenkyusyo.com


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